オーストラリアの各都市には様々な特色があり、ここではオーストラリア主要都市をご紹介します。

シドニー
シドニーの歴史
シドニー周辺では少なくとも4万年前から歴史が確認されています。そこに初めてのイギリス人がやってきたのは1770年、キャプテン・クック(ジェームス・クック)がボタニー湾を訪れたときでした。1788年、フィリップ総督によってオーストラリア最初の植民地となりました。キャプテン・クックが彼の後継者シドニー卿トマス・タウンゼントにちなんで、シドニーと名付け、後にその名が一般的に使用される様になりました。植民地としての初めの頃には1000人ほどの人口しかなく、そのほとんどが囚人でした。1822年には町として、銀行・警察・市場・道路などが整備されました。1842年には自治体となりました。1850年にはシドニー大学が建設されています。19世紀前半にはオーストラリアの最大の都市として栄えていました。1851年にヴィクトリア州で始まったゴールドラッシュの影響を受け、シドニーでも工業化が進みました。しかし19世紀後半にはメルボルンに押され、第2の都市となってしまいます。20世紀前半には再び人口が増え始め、移民を多く受け入れ、現在に至るまでオーストラリア最大の都市です。現在、都市圏は広範囲に及んでおり、金融都市としても有名です。
シドニーの地理
オーストラリアの南東岸に位置し、ポート・ジャクソン湾とボタニー湾に面しています。東に太平洋、西にブルー・マウンテンがあります。入江やビーチが多いことも特徴です。市街地はポート・ジャクソン湾の丘陵地に発達し、現在では高層ビルが立ち並んでいます。
シドニーの姉妹都市
愛知県 名古屋市
シドニーの教育
公立大学(6校):シドニー大学、オーストラリアカトリック大学、マコーリー大学、ニューサウスウェールズ大学、シドニー工科大学、西シドニー大学 私立大学(2校):ノートルダムオーストラリア大学、ウーロンゴン大学
メルボルン
メルボルンの歴史
メルボルン周辺のヨーロッパ人の歴史は1798年に始まります。ジョージ・バスがオーストラリア大陸とタスマニアの間にあるバス海峡を発見、そして1802年にジョン・マレーがポート・フィリップ湾を発見しました。1835年に北タスマニアで農家として成功していたジョン・バットマンが更なる牧草地を求め、ヤラ川の河口にたどり着きます。村を築く考えを持ち、一度タスマニアに戻ったバットマンがヤラ川に戻ると、ジョン・パスコ・フォークナーが同じく居住地にしようと、人々を引き連れてやってきていました。2つのグループで論争になってしまいましたが、結局十分な土地があるため、分配をすることで落ち着きました。そして当時のイギリス首相メルバーン卿に因んでメルボルンと名付けられました。1850年代にヴィクトリア州中部で金が発見され、ゴールドラッシュの時代が訪れ、19世紀後半にはオーストラリア最大の都市となり、大発展をしました。1851年にはヴィクトリア州の独立運動が起こっています。1901年にオーストラリア連邦が成立してから1927年までの間、メルボルンはオーストラリアの首都でした。現在でもイギリスのヴィクトリア朝時代の建物を多く残した美しい街として、オーストラリア第2の規模を誇っています。
メルボルンの地理
オーストラリアの南東部に位置し、ポート・フィリップ湾に面しています。街にはヤラ川が注ぎ、川の北側には旧市街が、南側には高層ビルが立ち並んでいます。市街地を離れると高層ビルはなく、低い建物が街の東側を中心に広範囲に及んでいます。
メルボルンの姉妹都市
大阪府 大阪市
メルボルンの大学
公立大学(7校):メルボルン大学、ディーキン大学、ラトローブ大学、モナシュ大学、RMIT大学、スウィンバーン工科大学、ビクトリア大学
ブリスベン
ブリスベンの歴史
ブリスベン周辺の地域には元々アボリジニーの人々が暮らしていました。ヨーロッパ人としては、1823年に冒険家ジョン・オクスレイが周辺の航海を行いました。1824年に現在のレッドクリフ地区に流刑植民地が作られ、その1年後に現在のブリスベンへと移されました。1838年に一般のヨーロッパ人の入植が始まります。1859年にクイーンズランド州がニュー・サウス・ウェールズ州から独立した州であると宣言し、州都をブリスベンに定めました。しかし実際に市と認められたのは1902年のことでした。1925年には周辺の地方自治体が合併し、大ブリスベン市が形成されました。現在では多くの移民を受け入れ、オーストラリア第三の都市として発展を続けています。
ブリスベンの地理
クイーンズランド州の南東部、ブリスベン川の半島部分に位置しています。東にはモートン湾、西にはグレートディバイディング山脈があります。ブリスベンには丘が多く、標高300mのクーサ山などが有名です。小川も多く、1893年と1974年には大洪水も経験しています。
ブリスベンの姉妹都市
兵庫県 神戸市
ブリスベンの教育
公立大学(3校):クイーンズランド大学、クイーンズランド工科大学、グリフィス大学
ゴールドコースト
ゴールドコーストの歴史
ゴールドコーストの土地には先住民の人々が元々暮らしていました。近くをキャプテン・クック一行などが通過はしているが、ヨーロッパ人として初の上陸をしたのは1823年、冒険家ジョン・オクスレイで、彼は現在のマーメイド・ビーチに上陸しました。彼の船がマーメイド号という名だったために、マーメイド・ビーチと名が付きました。その後、19世紀半ばには近隣が林業や牧場、サトウキビ畑、綿花畑として栄え、発展しました。1885年にクイーンズランド州知事のマスグレープが別荘を建て、次第にブリスベンに暮らす上流階級の人々のリゾート地として知られるようになっていきました。1889年にはブリスベンとサウスポートを鉄道が結び、ホテルの建設が始まります。1925年、ブリスベンのホテル王ジム・キャビルがサーファーズパラダイスホテルを建てたことを皮切りに、1930年代には多数のホテルが海岸沿いに建設されました。1940年代後半には不動産投機家やジャーナリストの間でゴールド・コーストと呼ばれ始め、今も定着しています。1960年代から高層マンションが次々に建設され始め、1981年には空港が開港しました。そしてテーマパークが次々に作られ、世界中の人に名が知られる、一大リゾート地となりました。
ゴールドコーストの地理
オーストラリア東海岸、クイーンズランド州の南部に位置しています。市の南側はニューサウスウェールズ州に隣接しています。市は沿岸沿いに南北60kmに渡り広がっています。元々はネラング川の湿地でしたが、現在は人口の水路が作られ、水路沿いに住宅地が広がっています。
ゴールドコーストの姉妹都市
神奈川県
北海道 鷹栖町(たかすちょう)
ゴールドコーストの教育
公立大学:グリフィス大学
私立大学:ボンド大学
ケアンズ
ケアンズの歴史
ケアンズ辺りには元々先住民のアボリジニーの人々が暮らしていました。イギリス人が初めてこの土地にやってきたのはキャプテン・クック(ジェームズ・クック)で1770年のことでした。その時に彼は現在も用いられているトリニティ湾と名前を付けています。1870年に近くのホッジキンソンで金が発見されたため、それを運び出すために作られた町が、現在のケアンズです。その後、金を運ぶための港がポート・ダグラス(ケアンズの70km北)に移った後も、トウモロコシやサトウキビ、バナナなどの農業があったため、都市として発展を続けました。現在は日本を始めとした国からのゲートウェイとして観光業が盛んですが、国際空港が整備されたのは1984年のことです。ケアンズという名前は、クイーンズランド州の初代総督であったウィリアム・ケアンズの名が由来となっています。
ケアンズの地理
オーストラリア及びクイーンズランド州の北東部に位置し、トリニティ湾に面しています。東にはグレート・バリア・リーフ、西には熱帯雨林が広がっています。
ケアンズの姉妹都市
徳島県 美波町(みなみちょう) ※アカウミガメが産卵に訪れる事で有名 栃木県 小山市(おやまし) ※栃木県南部のベッドタウン
パース
パースの歴史
パースの街を流れるスワン川周辺に自由移民の入植地がイギリス人により建設され、パースはその中心地となりました。パースという名は西オーストラリア州の初代総督となるジェームズ・スターリングが、長官ジョージ・マレー卿の出身地パースシェアに因んで名付けました。1850年にはパースを含む西オーストラリア州は安い労働力を求める実業家や農民の期待に応え、流刑植民地となりました。1900年に住民投票があり、1901年にオーストラリア連邦に加盟しました。金、鉄鉱石、ニッケル、ダイヤモンドなど鉱物資源の発掘により、パースは発展を遂げました。
パースの地理
オーストラリアの西海岸の近郊に位置し、オーストラリアの大都市では唯一インド洋に面した側にあります。パース都市圏は南北約125km、東西約50kmに広がっており、海抜は約20mです。ブラックスワンが名前の由来であるスワン川が街の中心を流れています。
パースの姉妹都市
鹿児島県 鹿児島市
パースの教育
公立大学(4校):西オーストラリア大学、カーティン大学、エディスコーワン大学、マードック大学